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吉田勝次『素晴らしき洞窟探検の世界』(ちくま新書) [随筆・日記]

タイトルと表紙に必要な情報は全部入っています。テレビの特番でたまにやっていたりいなかったりする、世界中の洞窟を探検する人が書いた本です。
表紙と口絵の写真はこの世のものとは思えない幻想的な美しさですけれども、底へ至るまでの道のりはまぎれもなく現実です。洞窟の探し方から準備、装備一式を揃えるのにどれくらいかかるか、現地にたどり着いて情報を集めて入り口を発見して、いざ入ってみたら案外あっさり行き止まりになってしまったりもする、そういう具体的な手順がいちばん面白うございました。奇跡のように美しい情景は映像や写真で見られるわけで、それ以外の部分も楽しいんです。
読み終えて印象に残るのは「めちゃくちゃ大変だけど楽しい」という一点で、命を落とすかもしれない危険や過酷な環境、快適に眠れない現場についてたっぷりページを使っているにもかかわらず、入ってみたくなる読者を生んでしまう本です。

素晴らしき洞窟探検の世界 (ちくま新書)


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J・L・ボルヘス『語るボルヘス』(岩波文庫) [随筆・日記]

ボルヘスが1978年にブエノスアイレスのベルグラーノ大学でおこなった連続講演の記録です。テーマは「書物」「不死性」「エマヌエル・スヴェーデンボリ」「探偵小説」「時間」。ボルヘスの講演記録は前にも日本語訳がいくつか出てきますけれども、話し言葉なのでエッセイや小説よりちょっとわかりやすくて親しみ深いような気がしますね。
とりわけ興味深かったのは「探偵小説」の章です。ポーの話から入るのでお題とは関係のなさそうな詩についてしゃべり始めたり、ボルヘス自身も探偵小説が好きだというくだりもあります。探偵小説をこんなアプローチから話す人はあまりいらっしゃらないと思うので、ミステリ好きの方にはぜひ手に取っていただきたいボルヘスですね。冒頭にも書きましたとおり、話し言葉でぐっと読みやすくなっていますので(純文学好きの方はわたくしが何もおすすめしなくてもボルヘスやミステリを読んでいらっしゃると思っています)。

語るボルヘス――書物・不死性・時間ほか (岩波文庫)


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エトガル・ケレット『あの素晴らしき七年』(新潮クレスト・ブックス) [随筆・日記]

息子が生まれた年から父が亡くなるまでの七年を、テルアビブに暮らす作家がつづったエッセイ集です。
エッセイ集ですからノンフィクションで、現在のテルアビブですからなかなか大変な時期です。ミサイルも飛んでくるし空襲警報も鳴るのですが、それはそれとして子育てはばたばたしますし、セールスの電話もかかってくる日常も存在します。著者は作家として世界各地のイベントに顔を出したりもしているので、つまりはじめての子育てに悪戦苦闘する作家のエッセイなんですよね。
妻と息子と過ごす日々、ホロコーストを経験した父の死や、それぞれ別の道を歩んだ兄と姉とのエピソードなど、家族についての物語も随所に顔を覗かせる、なんともにぎやかでおかしみにあふれるエッセイ集です。イスラエルの現実は確かに彼らの上に存在していて、それでもなおユーモアを忘れずにいる人たちがいるんですね。中でも一年目の「戦時下のぼくら」と七年目の「パストラミ」はどちらも現在のテルアビブでの出来事で、これらが最初と最後に入っているのが特に素敵だと思うところです。きっとパレスチナにも同じように思ってる人がいるんですよ。ね。

あの素晴らしき七年 (新潮クレスト・ブックス)


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石井好子『いつも異国の空の下』(河出文庫) [随筆・日記]

1950年8月、まだ粗末だった羽田空港からサンフランシスコ行きの飛行機に乗り込んだ日本人歌手が、二十世紀なかばのアメリカからパリ、ヨーロッパ各地やキューバまでを旅した八年間の回想です。
料理エッセイで有名な人とばかり思っていたのでぜんぜんオムレツのにおいがしないことに最初はびっくりしていました。ご飯の話よりショービジネス界の話、それと思いがけず20世紀の激動の歴史によりそう人々の話になっていますね。読書方面以外では料理じゃなくてシャンソン歌手として有名な人ですし。
戦後しばらくした日本を離れた女性が異国でシャンソンを学びながらどのように生きたか、当時出会った人々の息遣いに満ちた記録として読めるのはもちろん、ショーの世界の裏側を垣間見られる楽しみもあります。ほんの八年間で驚くほど様変わりするパリの芸人たちの世界、新鮮なブロードウェイのミュージカル、革命前夜のキューバまで、今となっては歴史の一ページじゃありませんか。歌手としての修業や同僚との友情みたいな個人的な思い出も、その陰に否応なしにくっついてくる世界情勢も、振り返れば一冊の本になってしまうんですよ。


いつも異国の空の下 (河出文庫)

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上田秋成/井上泰至訳注『春雨物語 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫) [随筆・日記]

『雨月物語』でおなじみ上田秋成の晩年になってからの作品集です。以前石川淳の新釈バージョンを読んだことがあるですが、原文つきで全十篇収録というので再挑戦です。
いやはやこれは『雨月』にくらべてマイナーなのもうなずけます、歌論が三つも入ってるんですから。紀貫之が都への帰途で遭遇する伊予の海賊や、旅人が山の中で出会う神に託して自分の言いたいことを言ってるだけじゃないんですか。
この世ならぬものの出現は少なめですが「目ひとつの神」にわらわら出てくる異界のものどもは印象的ですし、そのぶん人間しか出て来ないお話が鬼気迫る雰囲気です。「死首の咲顔」とか「捨石丸」の理不尽さに呆然となりますし、即身仏がよみがえる「二世の縁」はコメントのしようがない毒気があります。
そして前回衝撃を受けた上下編からなる「樊噲」は、改めて原文で見直してもやはりとんでもなかったです。めまいをおぼえるような極悪人が徳の高い坊さんになって大往生しましたとさ、って作品が書かれたのが江戸時代、つい最近ですよ。先進性とはとても呼べないとんがったセンスじゃないですか。

春雨物語 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)


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巖谷國士『ヨーロッパの不思議な町』(ちくま文庫) [随筆・日記]

もともとが1990年刊行で文庫化が1996年、だいたい1970年代終わり頃~80年代後半までのヨーロッパを旅した著者の記憶です。ご存じの通りちょうどヨーロッパの激動期にあたっているので、今となってはもう通常のガイドブックとしての利用は難しくなった本です。そういうやむにやまれぬ事情も相まって、なおのこと本書を現実には存在しない国々のガイドブックたらしめています。
時代の動いたせいもありますし、何よりもこの本は著者がそのとき見た都市の景色や空気を書き残すことに全力を注がれているんですね。これは巖谷さんの過ごしたヨーロッパのとある町のことを書いていて、ここに行けば誰でも同じものを見たり感じたりできるわけではない。ですからどうしたってガイドブックには向きませんし、この本を手にして出かけてみても巖谷さんの見た風景と同じものはどこにも見当たらないでしょう。
しかしながら、本書の頃とは大きく変わっているであろうヨーロッパをこれから他の人たちが訪れるとすると、今度は巖谷さんの見られなかった人や風景が見えることも間違いないんですよね。そうするとやっぱり旅に出たくなるしそのときにはいっしょに連れて行きたくなる本であることに変わりはありません。

ヨーロッパの不思議な町 (ちくま文庫)


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万城目学・門井慶喜『ぼくらの近代建築デラックス!』(文春文庫) [随筆・日記]

男性小説家ふたりが大阪・京都・神戸・横浜・東京、そして台湾の近代建築をめぐる、ガイドブックのようでそうでもなさそうな案内本です。というのは万城目さんが近代建築ファン、門井さんが建築家や歴史にも造詣の深いファンという調子でつまり両方ともファンで、半分以上ファンがしゃべってるだけの本なんですよ。アクセスの詳細も周辺のおいしいお店情報もありませんし、編集方針として全体的に写真はひかえめになっています。ふつうに紹介するガイドブックとしては物足りないながらも、お二人があんまりにも楽しそうにしているものだからかえって行ってみたくなるんですね。
たまたま大阪のいくつかの建物についてはじっさいに目にしたこともあり、我が意を得たりの感がありました。さっぱり知らなかったので興味深く読んだのは、建築家についてのエピソードのいろいろですね。初めて訪れたエリアで、近代建築を楽しむときのポイントがひとつ増えました。

ぼくらの近代建築デラックス! (文春文庫)


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櫻井忠温『肉弾 旅順実戦記』(中公文庫) [随筆・日記]

日露戦争の激戦で瀕死の重傷を負いながら生還を果たした一将校の回想記です。日本を出発してから旅順攻囲戦に参加、第一回総攻撃で負傷して離脱するまでの記述なので二〇三高地とか旅順陥落の話は出てこないんですけれども、それでも戦場の雰囲気はいやになるほど詰まっています。
日露戦争終結直後の明治39年に出版されており、この文庫版には驚いたことにT・ルーズヴェルト大統領の書簡が巻頭についています。その次のページは大隈重信の序文で、当時各国語に翻訳されベストセラーになった事実をまず教えられました。戦争の高揚感や愛国心や精神論、悲惨さや滑稽さやばからしさは世界共通だったんだなぁとしみじみ痛感します。
最終的には日本の勝利で終わった戦いだというのに現場ではまったくそんな空気はなくて、倒れた戦友の体を踏んで引き返す地獄のような道、決死隊ではなく必死隊、再会の挨拶が今生の別れ、そういうエピソードは枚挙にいとまがありません。日本軍の精神をたたえる一方でロシア軍の兵士への賞賛もたびたび出てくるし、時には軍規に反する行動もしていて、世界中の共感を集めたのも納得できます。これがどうして太平洋戦争の結果に至ったのかを考えると、手放しで絶賛するのは今となっては無理なんですけれども。
文体はいきいきとした講談調で、言葉遣いの古めかしさにもかかわらず驚くほど読みやすいです。後に文筆活動でも活躍した人ですし、そういう才能があったのかもしれません。松山出身で漱石の教え子だったこともあるそうです。

肉弾―旅順実戦記 (中公文庫)

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宮沢章夫『時間のかかる読書』(河出文庫) [随筆・日記]

ずっと横光利一の短篇「機械」を読んでいる本です。毎回少しずつ読み進めては登場人物や世界設定や作者の意図について考察を繰り広げ、たまに脱線しながらゆっくりゆっくりページをめくります。
ただ、それにしたって11年はちょっととんでもない時間のかかりようですよね。

ネームプレートを作っている町工場での出来事をきわめて緻密な文体で描く「機械」自体も巻末に収録されているのですが、文庫本で30ページくらいしかないんですから、いくら精読といってもちょっと限度ってものがあります。
で、これが面白いんですよ。実際わたくしにとっての本というのは、このくらい色々考えたり心の中であれやこれや突っ込んだりしながら読むものでもありますし。とはいえ、ふだんは頭の中に浮かんでは消えるよしなしごとを全部紙の上に書き付けてしまったとすると、これはもう大変な情報量になります。そりゃ11年もかかるしそれだけで1冊の本にもなるわけですよ。誰も気にしなさそうなところに突っ込みを入れる筆者、延々と脱線したきり戻って来ない筆者、いやそれはちょっと違うだろうと読者が思わず異議を唱えたくなる筆者等々、「機械」を読んでいる筆者の宮沢さんとも長いお付き合いになり、終わる頃にはすっかり仲良くなったような気分を味わえます。
他の人の読書のプロセスを丹念に追ってゆく楽しさを教えてくれる本です。。

時間のかかる読書 (河出文庫)

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曲亭馬琴『近世物之本江戸作者部類』(岩波文庫) [随筆・日記]

曲亭馬琴が同時代の作家たちを斬って斬って斬りまくるとても私的な評論です。馬琴自身も含めた戯作文学の作者を片端から取り上げ、一人の作家としての主観をどっさり交えつつばっさり語ってゆくスタイルなので、ちょっと資料として使うには視点が偏りすぎの感がありますけれども、無類に面白いんですよこれが。
文学史に名を残す有名作家を挿絵が良かったから売れただのあれは剽窃だのと容赦なくぶった切る一方で、脚注を見ても詳細がわからないような無名作家についてもきっちりページを割く(あまり誉めてはいません)まめなところもあり、あらゆる意味で馬琴の人柄が伝わってくる本になっています。一般には出回らず写本の形で伝わった書物でもありまして、実際呼んでみるとそりゃそうなるわなと納得せざるを得ません。
こんな調子ですから作家論のパートが面白くないわけはないんですが、もっと面白いのは当時の出版界の裏事情です。版元や画工と揉めた話に原稿が間に合わない話、今でもどこかの出版社で起きてそうなエピソードも楽しめます。
明らかに力が入っているのは師匠的な存在だった山東京伝についての記述です。江戸の娯楽小説について語る上では外せない人物ですし、行間から何とも複雑な感情が染み出してくるようです。付録として、京伝とその弟京山を取り扱う「伊波伝毛乃記」、さらに京山による馬琴についての記事まで収録されています。これまた大変になまぐさい流れで、昔から変わらぬ人間の営みのあれやこれやを垣間見られます。

近世物之本江戸作者部類 (岩波文庫)

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