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イアン・マキューアン『甘美なる作戦』(新潮社クレスト・ブックス) [海外小説]

小説好きの大学生セリーナは恋仲になった教授との縁で諜報機関の面接を受けて採用されるが、待っていたのは安い給料と下級事務職員の地味な仕事ばかり。やがて本好きの経歴を評価された彼女は反共的作家の支援任務を与えられ、新進作家ヘイリーに接近するうち彼と恋に落ちて……
恋愛小説とスパイ小説の合わせ技のようなあらすじなんですけれどもそうとも言い切れない、色んな読み方のできる小説です。そうは言ってもMI5と恋愛と小説家だとどうやってもそんな流れにしかならないのでは、せいぜいミステリやサスペンスの道に進むくらいではないかとお思いですか。大丈夫です。
裏表紙の松田青子さんやフィナンシャル・タイムズ紙のレビューでさえほんの一面を見ただけでしかない、読む人によって感想が変わるおばけ煙突みたいな本です。わたくし自身は、これは小説を書くことについての小説だと思ったのですけれどもどうでしょう。70年代英国の冷戦下の政治とカルチャーを描き出した歴史小説でもありますし、作中に登場する作家の小説がいくつも登場する枠物語でもあります(この中にマキューアン自身の作品も紛れているというお話です)。エンターテイメント小説のスタイルとして楽しく読めるストーリーがある一方で急に文学談義がはじまったり、かと思うとシリアスな国際情勢の話が出てきたりで驚かされてばかりですが、主人公と作家の恋が予想通りの結末に至ったあとの一撃にわたくしは一番驚かされました。

甘美なる作戦 (新潮クレスト・ブックス)

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イーヴリン・ウォー『スクープ』(白水社) [海外小説]

毒にも薬にもならない田園記事を新聞に連載していた青年ウィリアム・ブートは、人違いで海外特派員に任命され、政情不安まっただ中にあるアフリカの某国へ送り込まれることに。怪しげな人々がうごめく世界で本職の記者たちに揉まれて右往左往されるうち、彼は思いがけず本物のスクープをものにするのだが……
1938年に書かれたジャーナリズムをめぐる小説です。とにかくひどい話なのでぜひ「ひっでぇなぁ」と声に出して突っ込みを入れながらお読みいただきたいです。もうずいぶん前に出た本ですけれども、ひょっとすると現在でも報道の世界はこんな調子なんじゃないかと思わせるいやな説得力があります。
政変前夜のアフリカの架空の国を舞台にしていますが血湧き肉躍る大冒険はどこにもなく、ろくに娯楽もない土地でだらだら過ごす記者たちや埒が明かない政府の対応、肝心のときに届かない本国からの電報などお笑い要素が山盛りです。ばかばかしくも楽しいお話ではあるのですが、ちょっとジャーナリズムの現場にいる人には見せられない……いや、むしろそういう方にこそ読んでいた大体かもしれない本です。

スクープ (エクス・リブリス・クラシックス)


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ワイルド『幸福な王子/柘榴の家』(光文社古典新訳文庫) [海外小説]

オスカー・ワイルドの童話集二冊の新訳版です。特に表題作「幸福な王子」は有名ですし、「小夜啼き鳥と薔薇」「身勝手な大男」もちょこちょこアンソロジーや絵本で見かけますよね。どれも見たところはいかにも子どものためのおとぎ話で見られそうな少し昔のどこかの国や愛らしい登場人物に彩られていて、でもストーリーはというとハッピーエンドとは限らないし全てがきれいに丸く収まるわけでもありません。
他人のために一生懸命がんばった人が別段報われずそのまま終わったりもしますし、宗教的な救済がおとずれることもありますし、読む前からうすうす予想してはいたんですけれども子どものためになる教訓的なお話という感じはそんなにしません。それでいて、あたまに「本当は怖ろしい」とか「大人のための」とつけられるような毒と皮肉に力を注いでいるようでもないです。つらい話もひどい話もひっくるめて、ひとつひとつが短いながらも美しい悲劇のような味わいです。もし子どものころに読んでいたら、結末にいちいち納得がいかなかったんじゃないかと思いますね。

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)


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ピエール・ルメートル『天国でまた会おう』(早川書房) [海外小説]

1918年11月。休戦が近いと噂される第一次世界大戦のさなか、前線の兵士アルベールは上官プラデルの悪事を目撃したため戦場に生き埋めにされてしまう。同僚のエドゥアールに救出されて九死に一生を得た彼は、多くのものを失いながらも新たな人生を歩み始める。一方かつての上官プラデルは、大戦後のパリで実業家としてのし上がり……
戦争で全てを失った主人公たちが上官に復讐する話だと思っているとびっくりしますね。主人公のアルベールからしてどこまでもヒーローらしくない優柔不断な青年で、悪人ではないけれど特別な正義感や意志の強さを持っているわけでもありませんし、彼を救ったエドゥアールのその後の運命も読者の予想を裏切ります。あくどい手段で立身出世をもくろむ元上官はいつまでもぴんぴんしているし、主人公たちの家族は真相に気付く気配もなく、主人公は主人公で日々を暮らすのにせいいっぱいです。
なんですけれども、これが抜群におもしろいんですよ。第一次世界大戦とその後のヨーロッパを舞台に、戦場での裏切りと目撃しながら生き延びた兵士という重たいテーマを扱いながら、サスペンスにあふれた娯楽小説なんです。あの日からいったい何がどうなってこんなことになったのか、考えると分岐点が見えてくるような気もするけれどそれはもう過去の話で、結局今となってみると何もわからない、人生そのままに平凡でドラマチックな小説です。
天国でまた会おう(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫) 天国でまた会おう(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

全1冊の単行本もあります。
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ローラン・ビネ『HHhH』(東京創元社) [海外小説]

1942年、ドイツ保護領となったプラハへ二人の兵士が潜入する。ロンドンに亡命したチェコ政府の計画に従う彼らの目的は、〈第三帝国でもっとも危険な男〉と呼ばれるチェコ総督代理ハイドリヒの暗殺だった。
小説化すればいくらでもドラマチックになる題材を、恋愛や歴史秘話をからめた手に汗握る娯楽作品としては読ませてくれないのがこの本のすばらしいところであり、作者の腕前の大したところでもあります。最初から最後まで、執筆者である「僕」がハイドリヒ暗殺計画と同じくらい前面に出てきて、父や恋人との思い出、本書のための取材旅行で目にしたものや登場人物の内面に分け入ることについても語り続けるんですから。
作中の「僕」がそのまま著者といえるかどうかはわかりませんけれども、本書はハイドリヒ暗殺計画をテーマにしたノンフィクションとしてはもちろん、伝記小説を書くことと向きあう著者自身まで包み込んだ一つの作品になっています。史実としての結末はもちろん最初からわかっていて、ハイドリヒがここで暗殺されることもふたりの兵士とチェコの運命も読者は知ろうと思えば知れるのですが、小説を書いてきた「僕」のその後はわかりません。作者自身がお話の中にしょっちゅう顔を出してくる形式を伝記小説で成功させ、「史実を元にした小説を書くこと」についての小説として成功させたというのはとんでもない力業であり偉業ですよ、ほんとうに。

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)


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ケイト・モートン『秘密〔上・下〕』(東京創元社) [海外小説]

少女時代のローレルの目の前で、訪ねてきた旧知らしき男に突然ナイフを突き立てた母。五十年後女優として成功したローレルは、母の所有品から見つかった一枚の写真をきっかけに、幼い日に目撃した母の行動の謎とその過去を探りはじめる。
2011年のローレルがインターネットや弟の協力を手がかりにおこなう調査と、1941年に生きるローレルの母ドロシーの視点で交互に語られる小説です。先に進むにつれてドロシーの恋人ジミー、戦時下のロンドンで知り合う女性ヴィヴィアンなど登場人物も増え、語り手の視点も重層的になってゆきます。
ですから全体の半分くらいは戒厳令下のロンドンの人々の暮らしを描いているのですが、空襲に怯える人々あり国防婦人会あり、一方で優雅な生活をちっとも崩さない上流階級などもあらわれて鮮やかな切り口です。そんな中で自分の夢を叶えるために努力を重ね、やがてる娘ドロシーの生活は波乱に満ちているのですが、現代で調査を進めるローレルの身には特に何らかの脅威が迫ることはありません。にもかかわらず大変スリリングで、過去のできごとを並行して読み進めている読者には時々もどかしくもはらはらする楽しみは少しも失われていません。
現実の歴史とリンクしつつ、ところどころに虚構や意図的な年月のずれも含まれた、あたまに「歴史」とつけるにはあまりにも個人的なできごとをていねいに追いかけたけっこうなミステリでした。

秘密 上 秘密 下

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エレナー・アップデール『怪盗紳士モンモランシー』(創元推理文庫) [海外小説]

逃亡中に屋根から落下し瀕死の重傷を負うも、最先端の治療に取り組む若き天才外科医の被験者となり、みごと一命を取り留めた囚人493またの名をモンモランシー。刑期をつとめあげた彼は、医師や囚人たちのネットワークを通じて情報を集めた情報を活用し、理想の生活を実現すべく奮闘する。
どんな生活かと言いますと、誕生して間もないロンドンの下水道を自由に行き来しての盗賊業をなりわいとするごろつきと、高級ホテルに長期逗留し優雅にオペラや競馬を楽しむ紳士の顔を使い分けての二重生活です。
手術の影響で体中傷だらけながら頑丈な主人公が、身体能力だけでなく旺盛な学習能力を発揮して新しい生活を築き上げてゆく姿は見ていて痛快です。ただ怪盗と呼ぶにはちょっと仕事が地道で確実性重視で盗みのうえでの爽快感はあまりない、擁護のしようがない悪人なんですけれども。時代は1875年、ヴィクトリア朝ど真ん中のロンドンの階級社会も読みどころです。
裏表紙のあらすじでかなり先のほうまで喋っているのですが、終盤に転がり込んでくる思いがけない展開もあり、次巻以降が楽しみな作品です。

怪盗紳士モンモランシー (創元推理文庫)


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ウンベルト・エーコ『ヌメロ・ゼロ』(河出書房新社) [海外小説]

新たな日刊紙の創刊を目指し、準備号となる第ゼロ号(ヌメロ・ゼロ)製作のために集められた編集者たち。じっさいには出資者の利益のためだけに考えられたこの企画の現場は、虚飾と捏造にあふれたジャーナリズムの縮図となってゆく。一方、スタッフの一人はムッソリーニの死にまつわるミステリを独自に調査し、そこからイタリア史のさまざまな事件を経て現代へとつながる陰謀説を展開するのだが……
1992年のイタリアを舞台に、当時じっさいにあった事件を絡めながら展開するフィクションです。刊行は2015年ですしそもそも編集部の人々などメインの登場人物は作者の創作ですから、特にイタリア現代史に詳しくなくても楽しめる小説です。なんたって現代日本のジャーナリズムの現場でもありそうなんですもん、こういうこと。ありそうとは言いましたがわたくしがそういうお仕事に深く関わっているわけではないので、雑誌や新聞の編集のお仕事をされている方にはぜひともお読みいただきたい小説ですね。
創刊準備号の企画を依頼され、デスクをつとめることになった主人公の目に映るおかしな編集部のやりとり、ナンセンスな喜劇だと思うと笑えるんですけれどもジャーナリズムの現場だと思うと顔が引きつります。ひとり情熱的に陰謀論を語る人物の存在が、後半でびっくりする急展開をもたらすのが効いているんですけれども、これもジャーナリズムの現場の一面と思うとまた笑えません。笑えないという時点でもう、罠にはまっている気がします。

ヌメロ・ゼロ


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アンドレ・ド・ロルド『ロルドの恐怖劇場』(ちくま文庫) [海外小説]

二十世紀初頭のパリで人気を博したグラン・ギニョル座の劇作家による短くてストレートな恐怖小説集です。全22作入り、すべてきっちりバッドエンドです。
当時のパリの生活や人々が恐れていたものがたびたび登場するので、たとえば外科手術に対する偏見はちょっとひどいのではないかとか、そういう部分も含めて興味深い短篇集です。超自然的な存在ではなく、あくまで犯罪や人間の異常心理から生まれる恐怖を取り扱っているのも特徴です。
どのページをめくっても低俗で強烈な三面記事の世界ですが、思いがけずサイコホラーの源流のような味わいやミステリと呼べそうな展開を見せる作品もあり、なかなか変化に富んでいます。もともとはお芝居の方面にいらした人なためか、短い作品でも登場人物がいきいきと動き回り、目の前にいるかのように残酷な目に遭うシーンがたくさんつまっています。一気読みすると胸焼け間違いなしの、ですけれども時々無性に食べたくなるお菓子のような本です。

ロルドの恐怖劇場 (ちくま文庫)


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E・ヘミングウェイ、W・S・モームほか『病(やまい)短編小説集』(平凡社ライブラリー) [海外小説]

タイトルに「病」と入っていますから一目瞭然です。結核、梅毒、神経衰弱、ハンセン病など、さまざまな病をテーマにした英米文学のアンソロジーです。文学的な視点から取り上げたものばかりなので医学的には必ずしも正確ではなく、病気の描写がグロテスクすぎて怖くなるようなことはそんなにないと思います。表紙はおどろおどろしいですけどね。
同じ「病(やまい)」という主題によりながら出来上がった作品はさまざまで、しんみりと感傷的なものもあればゴシックホラーに近いものもあり、夜に一人で読んだらトイレには行けないわ眠れないわの大惨事を引き起こしそうなものもあります。19~20世紀の短編が幅広く拾われていますが、現在ではすでに否定されている知識がちらほら出てくるのを、迷信と笑い飛ばすのではなく当時の価値観や空気を読み取る手がかりにできるのは小説の世界ならではの特権です。
ていねいな解説がついていて、それぞれの作品にまつわる背景や最近の研究成果についても軽く触れることができます。梅毒が父親からの遺伝と考えられていた時代ですとか、癌の手術に麻酔が用いられていなかったころの話ですとか、ほんの200年ばかり前の世界が身近になったり遠くなったりする心地です。

病(やまい)短編小説集 (平凡社ライブラリー)


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