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埴谷雄高『死霊〔全3巻〕』(講談社文芸文庫) [国内小説]

郊外の風癲病院を訪れた青年三輪与志、ある日発狂して以来言葉を発することがなくなった矢場徹吾、矢場と同じ病院を出て間もない与志の兄高志、彼ら全員と関わりを持つ神出鬼没の首猛夫。主にこの4人が入れ替わり立ち替わり登場し、それぞれの思想を語る数日間のドラマです。肩書きとしては形而上学小説ということなんですけれども、個人的な印象としましてはほぼ幻想小説です。どう考えても常人には見えてはいけないものが、当たり前のように向こうから歩いてきますからね。
かつて三輪与志と矢場の学友だった黒川建吉、学生時代の彼らとかかわった謎の少女、与志の婚約者の津田安寿子とその両親、精神病院に預けられた二人の少女と医師の岸博士など、三輪家の兄弟を取り巻く人々も魅力的です。霧に覆われた街やら古風な精神病院やら秘密の工場やらのどかな川下りやら、陰々滅々と喋っているだけかと思いきや意外に場面が推移するのもいいです。
どこを取ってもひかれる道具立ての中で彼らがやっていることは、いくら考えても答えの出ないおそろしい疑問です。そりゃこんなことばかり考えていたら病院送りが続発するだろう、という重さの。

思いの外面白く読めた、というと「予想よりましだった」と聞こえてしまうかもしれないので率直に申し上げますと、間違いなく面白かったです。登場人物がみんな強烈に個性的で忘れがたいんですよ。シリアスな小説かと思っていると津田夫人みたいな笑いどころもちゃんと用意されていますし、脇役かと思われた人物が後のシーンで重要な役割を担うこともあり、キャラクター重視で小説を楽しむ人には特に向いています。

彼らがずっと喋っていることは確かに厄介な問題なんですけれども、特定の分野でしか通用しない専門用語もなく、誰にとってもある意味では身近(大きすぎて普段は誰も考えないだけで)なテーマです。取っつきにくいように感じるかもしれませんが、たいていの人はこの小説を手強いと感じるでしょうから、スタートラインはどなたも同じです。
ミステリのような部分もありますし、タイトルと著者名に恐れをなして敬遠しているのはもったいないですよ。
とは言うものの、全く知らずにいた人に熱烈におすすめしたいかというと、それもちょっと怖い本ではあります。

非常に残念なことは、明らかに未完で終わってしまっていることです。第9章でいきなり新しい人物(?)が姿を見せたと思ったら、意外な人の口から鋭い反撃が飛び出して、そこでおしまいですよ。
もっと若いときにこの本を読んでいたら、間違いなくとりつかれて人生が狂っていました。かといって年を取ってから読むには遅すぎる本なんですけれども、やはりある程度大人になってから読んで「もっと若いときに出会いたかった/出会わなくて良かった」と思うための小説です。

死霊(1) (講談社文芸文庫) 死霊(2) (講談社文芸文庫) 死霊(3) (講談社文芸文庫)

山口雅也『狩場(カリヴァ)最悪の航海記』(文藝春秋) [国内小説]

旅行記で名高いかの船医ガリヴァーがかつて日本に立ち寄ったことはよく知られていますが、そこで自分とよく似た名前を持つ日本人と出会って冒険を共にした経緯を語る『ガリヴァー旅行記』の続編です。もちろん件の旅行記はフィクションですから、この原稿もフィクションのはずなのですが…
ガリヴァーの知られざる冒険を語る形式をとり、がっつり『ガリヴァー旅行記』をなぞったパロディです。編纂者による注解も充実していて、18世紀英国人の目に映った日本のありようを理解する一助となってくれます…と言いたいのですが、どう考えてもおかしな注がちょこちょこ紛れ込んでいる気配がぷんぷんして油断できません。信用できない語り手と信用できない編者による夢のコラボレーションですよ。巻末に付された発行者による覚書も、うさんくささを倍増させています。
なんて思ってがっつり眉に唾を塗りたくりながら読んでいるとちゃんとした注もあるから困ってしまいます。八重洲という地名の由来については、これは絶対でまかせだろうと思って軽くネットで調べたらどうも本当らしくて、心の中で山口さんにお詫びしました。疑ってすみませんでした。

ガリヴァー旅行記のパロディであり、近代を背景にしたSFとしての続編であり、作品そのものの成り立ちはミステリとしての考察も可能で、何ともとらえどころのないおもしろ小説です。著者名だけ見てミステリだと決め込んで読んだわたくしは見事に呆気にとられたので、これから手に取る方には何も考えずに読むことをおすすめします。

狩場最悪の航海記 (文春文庫)

都筑道夫『女泣川ものがたり』(光文社文庫) [国内小説]

深川を東西に流れる小名木川は、隠れて春をひさぐ女の涙を集めて流れる川だという。旗本の身分を離れ、刀の代わりに竹光を振るう左文字小弥太はある夜の出会いをきっかけに、彼女らの集う長屋の用心棒を引き受けることに。
『神州武甲伝奇』で脇役ながら強烈な印象を私に残した左文字小弥太が主人公をつとめる連作短篇集です。もう間違いなく左文字小弥太目当てで手に取りましたよ、と恥ずかしげもなく宣言しておきます。
苦界に生きる女たちを取り扱いながら、主人公の往来する世間は小名木川のほとりに留まりません。人間関係もお話が進むにつれてだんだん広がり、連作らしく複数の作品にまたがって登場するキャラクターもいて、江戸の街を舞台にした時代劇のTVシリーズのような趣を醸し出しています。最終話の展開と余韻がまた、TV時代劇っぽい味わいなんですよ。
いかにも湿っぽいタイトルではありますが、泣いた女はすぐに元気になるというセリフもあり、案外楽しそうにやっている女もいたりするものです。必ずしもひどい結末ばかりではない人情ばなしなどもあるので、江戸時代ものが好きならどなたでも間違いなく楽しめる小説だと思います。そして皆さん、ぜひ左文字小弥太の大ファンになって下さい。

女泣川ものがたり(全) (光文社時代小説文庫)


大岡昇平『野火』(新潮文庫) [国内小説]

フィリピン戦線で結核を発症し、芋六本を与えられて部隊を追い出された「私」こと田村一等兵。病院に留まることも許されず、同じ境遇にある兵士たちとも離れて一人野火の燃える南洋の島をさまよい続けるが…

読後の感想としましては、裏表紙に書いてあるあらすじ通りの話ではないわなというところです。確かに主人公が最後にぶち当たるもっとも問題はそこなんですけれども、そこだけにしか面白さがないなんてことは絶対にありません。
そうなんですよ、おぞましく恐ろしい体験を語る小説でありながら間違いなく面白いんですよ、この本は。読んでいる最中も読み終えてからもぐるぐると色んなことを考えはするのですが、考えあぐねて手が止まるなんてことは全然なく、とにかく次はどうなるのかが気になって気になってどんどんページをめくっていました。
引き込まれる迫力と読みやすさは、異常な体験をただただ冷静に語る主人公の目線によるものだと思います。彼がどうしてこんなに落ち着いていられるのかは終盤に明かされますが、読者によってはその前にうすうす感づいてしまうかもしれません。主人公も、作中で明らかにされる事実に対して「知ってた」と応える立場に追い込まれるのですが、その経験を経て結局彼は踏みとどまれたのか踏みとどまれなかったのか、読み終えてからずっと考えています。
疑似親子関係を結んだベテラン兵と年若い兵士の顛末、主人公に食事を与えた後に逃亡する村人など、主人公が道行きの途中で出会う人々のエピソードも印象的です。どこに行ってどんな悲惨な経験をしようと、必ずどこかに笑いが(どういう笑いかは置いといて)あるのが大変好みです。この期に及んで何を、というやけっぱちな笑いもありますが、中でも名前すら明かされぬまま死んでゆく将校の、あまりにもあっさりとした尊い一言に打たれました。

野火 (新潮文庫)

池上永一『シャングリ・ラ〔上・下〕』(角川文庫) [国内小説]

地球温暖化が加速する世界で、都市機能を空中都市アトラスに移して地上の森林化を進める東京。女子少年院から戻ってきた反政府ゲリラの総統・國子はふたたび政府に戦いを挑み、他方では恐るべき子どもたちが自らの願いのために動き出す…
テクノロジーとエコロジーとエコノミーまでが衝突する大変なSF小説でございました。ネタバレ覚悟であらすじを紹介しても、ちょっと信じて貰えないんじゃないかってくらいの飛ばしっぷりです。
あとがきにあるように、沖縄出身の著者が東京を俯瞰し、現代の東京にあるもの全てをぶち込んだような世界が広がっています。後半では主人公たちが地上を離れ、空中都市での戦いを繰り広げる場面もありますけれども、それでもやはりこれは東京にまつわる伝奇小説の流れをくんだところに置かれるべき本です。
どの陣営に属する人物も自分の目的のために邁進する意思と行動力が強烈で、善悪の判断はひとまず置いておいて感服したくなる連中ばかりです。これは一気に読んだら胃もたれ間違いなしだと思いながらも、結局最後まで一気に読まずにいられませんでした。
いみじくも解説にて触れられているとおり「人には薦められない」と言いたくなる小説ではありますが、とにかく何ごとにおいても過剰なものが好きなら楽しい本だと思います。万人向けのエンターテイメントとは、ええ、とても申せませんけれども。

シャングリ・ラ 上 (角川文庫) シャングリ・ラ 下 (角川文庫)

桜庭一樹『青年のための読書クラブ』(新潮社) [国内小説]

1920年開校の伝統ある女子校・聖マリアナ学園の片隅にひそかに存在する、乙女の園の異端者たちが集う「読書クラブ」。そこに残されたクラブ誌は、学園の歴史の陰に眠る奇妙な事件の数々が、名もなき部員たちの筆によって記録されていた…
学園の創立者にまつわるエピソードから2020年(現時点では少しだけ未来)に至る百年間を、ときどきは外の世界の世相も映し、しかしおおむね学園内での出来事として、一生徒の目で綴った形式の連作短篇集です。
何となく憧れの眼差しで遠巻きにされがちなお嬢様学校の、実はそれほど優雅でもない、けれどそれなりに楽しい学校生活に、一読してその昔コバルト文庫から出ていた氷室冴子を思い出しましたよ。わたくしもこういう学校に通ったことはないので、お話として素直に楽しませていただきました。
思いっきり少女まんがっぽい舞台設定に加えて、本書はどこまでもフィクションであることを無言のうちに主張しているふうなのがひとひねり効いています。聖マリアナの失踪に隠された秘密と言い、学園の一大イベントである"王子"の選出と言い、誰かが何かを演じている虚構がいつもどこかに見えるんです。
そんな作り物めいた女学校の中、好き勝手にやっているはみ出し者たちが記した読書クラブ誌がそもそも本書のなりたちであるわけですけれども、これだってヘンに格好つけたペンネームの女の子が執筆した文章なのであって、どこまでが本当の出来事ではわかったもんではない…いえ、そもそもこの本は小説ですからフィクションなんですけどもね。こんなことをつらつら考えて楽しめる。実にむちゃくちゃな女の子たちのお話でした。
青年のための読書クラブ (新潮文庫)

佐藤亜紀『金の仔牛』(講談社) [国内小説]

18世紀のフランス。パリ郊外で馬車を襲って生計を立てるアルノーは、ある日襲撃した老人から奇妙な儲け話を持ちかけられる。この出会いをきっかけに、彼は貴族から犯罪者までを巻き込む巨大な株式相場の真ん中に躍り出ることになるが…
南海泡沫事件、オランダのチューリップ熱と並ぶ世界史上のバブル経済「ミシシッピ会社」を背景にした長篇小説です。3つのうちこの事件だけ知らなかった私でも大変楽しく読みました。そんなに難しい話ではないですよ、経済小説というよりは詐欺師の話という印象です。
主人公はその日暮らしの追い剥ぎからスタートし、気がついたらパリの株相場を仕切るところまで行ってしまうわけですが、どうも出世したとか登り詰めたようなイメージがあまり浮かびません。彼自身はかわいいかわいい恋人との幸せな生活のために金を稼ぎたい一心で頑張る、作中でも語られるとおり馬鹿と言うより子どもで、そんなに悪いやつにも見えませんし。海千山千の投資家に泥棒の元締め、趣味で強盗をやっている貴族と、彼の周りに集まってくる人々のほうがよっぽどたちの悪い化け物揃いに見えますけれども、表向きにはそんなに流血沙汰が起こらないところがかえって不安をかき立てます。不安と言えばミシシッピ会社をめぐる狂騒だって先行きの不透明さでは良い勝負で、登場人物や読者もみんな、頭のどこかではこんな設け話がいつまでも続くわけがないと思ってるはずなんですよね。が、それはそれとして当面はひたすら金をかき集めて株に突っ込む、儲けの出るタイミングで売り買いするループが続いて、だんだん別にこれで大丈夫じゃないかなぁと思い始めていました。
何千とか何百万というお金の単位に最初はいちいち驚嘆していたはずの主人公が、いつの間にかただの数字と冷静ににらめっこするようになってるんですよ。ただその頃には読者の頭も良い感じに麻痺して、どれだけ大金が動こうが何も感じなくなっている可能性もありますけれども。
どちらも経験はないのですが、株ではなくてギャンブルに金をつぎ込む人々の小説を読んでいる気持ちに途中からなっていました。ルイ15世が即位して間もない1719年、徐々に不安定になりつつあるフランスの時代背景も効いています。

金の仔牛

佐藤亜紀『醜聞の作法』(講談社) [国内小説]

我が子同然にかわいがってきた養女を金持ちの老人に嫁がせようとする夫の企みを知ったさる侯爵夫人。うだつの上がらない弁護士ルフォンを雇い、誹謗中傷のパンフレットをパリ中にばらまかせて破談を狙うのだが…
というわけで、狒々爺に嫁入りさせられそうなかわいそうな娘の恋文が何故か流出した(という設定)の怪文書がパリの巷を賑わすところから楽しいスキャンダルの始まりです。これで世論を味方に付けて縁談を潰してしまいたい公爵夫人の思惑とは別に、パンフレット執筆を依頼された弁護士の青年を取り巻く事情が絡み合って、想定外の事件が次々に発生して皆が右往左往するんですけれども、読者としては完全に他人事ですからもう面白くてたまりません。
弁護士に依頼をして印刷屋に原稿を持ち込む、つまり侯爵夫人の手足となって実際に陰謀を動かしている男から奥さまへの報告書と、彼にせっつかれてルフォンが書き上げたパンフレットが交互に並ぶ書簡体小説になっているので、出てくる人たちの勝手な言いぐさとハプニングでのドタバタぶりがよりいっそう際立つのも笑えるポイントですね。出所の怪しいパンフレットによる噂話にどきどきしながら無責任にあれこれお喋りするパリ雀たちと、この本を手にしてそんな人々を眺める現代日本の読者の楽しみ方は、違うようでいて案外近いような気がします。
よくよく考えると、本書を構成しているのは従僕の視点による侯爵夫人への手紙と、事実に基づいてはいても創作でしかないいくつかの手紙だけなんですよね。結末でルフォンが遭遇する一場面が、全編の非現実的な印象をさらに深めているように思いました。デマ拡散による炎上がメインテーマでありながら読後感ほのぼの、というびっくりする小説です。

醜聞の作法 (講談社文庫)


久生十蘭『十蘭ラスト傑作選』(河出書房文庫) [国内小説]

久生十蘭の文庫版傑作選、これが最終刊とのことです。豪華な全集のみならず、こんなに入手しやすい形でも十蘭の作品が読める幸せを噛みしめています。
ちょっと目次を見ただけでもピンと来るくらい、今回の収録作品は戦争ものが多いです。笑えるルポルタージュ風もあれば目を覆いたくなる悲惨な実録ものもあって傾向はさまざま。海軍報道班員として南方へ派遣された経験を反映した「風流旅情記」はタイトル通りののどかな笑いが阿鼻叫喚の南方戦線と交錯する傑作で、雑誌掲載が1949年という事実と並べてあれこれ想像すると面白いものがあります。その後1952年に発表された「雪原敗走記」はナポレオン軍のロシアからの地獄のような撤退をテーマにしており、この辺りの作品は執筆された時期を考えるのもまた一興…ではありますが、特に考えないで笑ったり震えたりする方が健全な読み方のような気もします。
1939年に書かれた前ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の手紙、という設定の「カイゼルの白書」は、これだけ読んでいると向こうの芦原将軍みたいな楽しいおじいちゃんのお喋りですが、背景を考えると途端に笑えなくなる鋭い一品です。短いうちにもこういう油断のならない鋭さが隠れているから十蘭は大好きなんですよ。

十蘭ラスト傑作選 (河出文庫)

渡辺温『アンドロギュノスの裔』(創元推理文庫) [国内小説]

「新青年」誌の編集に携わる傍ら幻想怪奇小説やミステリの短篇を自ら執筆していた渡辺温のちょっと厚めの文庫本全集です。谷崎潤一郎宅へ原稿依頼に赴いた帰り、27歳で事故死した夭逝の作家の小説や随筆、翻訳などが一冊に収録されています。
一番有名な作品は本書のタイトルにもなっている「アンドロギュノスの裔」かと思います。その他に映画原案の懸賞に入選した「影」、どこか夢のようで残酷童話のような「可哀相な姉」、奥さんがすてきな喜劇脚本「縛られた夫」などが個人的には印象に残っております。本当にひどい話もあれば瀟洒でクールな都会の一幕もあり、ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」の翻案もあり、多才っぷりを堪能しました。
映画撮影所を見学した話や撮影所での記念写真もあって、実はデビュー当時から映画と深く関わっていた人だというのを初めて知りました。知った上で映画っぽい画面を頭の中でイメージしながら読むと、登場人物の造形やそれぞれのシーンの切り取り方に納得がいきます。特に女の子がどの作品もかわいらしくて、これは映画女優を思い浮かべてみるべきだとよくわかりました。
稲垣足穂と似た大正時代の雰囲気が、華やかさも多少のインモラルさも含めてたっぷり楽しめますので、その辺りの時代がお好きな方はぜひ手に取ってみて下さい。「ミステリマニアなら誰でも知ってる」でとどまるには惜しい作家さんです。

アンドロギュノスの裔 (渡辺温全集) (創元推理文庫)

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