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石井好子『いつも異国の空の下』(河出文庫) [随筆・日記]

1950年8月、まだ粗末だった羽田空港からサンフランシスコ行きの飛行機に乗り込んだ日本人歌手が、二十世紀なかばのアメリカからパリ、ヨーロッパ各地やキューバまでを旅した八年間の回想です。
料理エッセイで有名な人とばかり思っていたのでぜんぜんオムレツのにおいがしないことに最初はびっくりしていました。ご飯の話よりショービジネス界の話、それと思いがけず20世紀の激動の歴史によりそう人々の話になっていますね。読書方面以外では料理じゃなくてシャンソン歌手として有名な人ですし。
戦後しばらくした日本を離れた女性が異国でシャンソンを学びながらどのように生きたか、当時出会った人々の息遣いに満ちた記録として読めるのはもちろん、ショーの世界の裏側を垣間見られる楽しみもあります。ほんの八年間で驚くほど様変わりするパリの芸人たちの世界、新鮮なブロードウェイのミュージカル、革命前夜のキューバまで、今となっては歴史の一ページじゃありませんか。歌手としての修業や同僚との友情みたいな個人的な思い出も、その陰に否応なしにくっついてくる世界情勢も、振り返れば一冊の本になってしまうんですよ。


いつも異国の空の下 (河出文庫)

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ベルギー 奇想の系譜(~7/9) [美術鑑賞]

兵庫県立美術館の「ベルギー 奇想の系譜」展に行ってきました。
15世紀フランドル絵画から始まり象徴派と表現主義、20世紀のシュルレアリズムを経て現代美術に至るまで、ベルギーの美術は人気ジャンルが目白押しです。一人だけで特別展が開催できる人気作家もたくさんいて、それらを通して見られるのはすごく貴重な機会ですよ。行かない理由がありません。
入って早々、最近ではきもちわるくてかわいいキャラとして大人気のボスとその影響を受けた作品群に出迎えられます。なんだかげてものみたいなイメージで見られがちですけれども、これだけ広まったしブリューゲル(父)にも影響を与えていますから当時には一般的に大人気だったんですよね。象徴派にさしかかると雰囲気はがらりと変わり、仮面でおなじみジェームズ・アンソールを挟んでシュルレアリズムの章に到着します。この世ならぬもの、不可思議なものを描き出す想像力は受け継がれながらも現実を超えるところまでたどり着く、ひとつの地域でこれだけ脈々と続く流れがあるのはほんとうに大したものですね。
現代美術はヤン・ファーブルを筆頭にまた新しい顔を見せはじめ、さらに伝統的絵画を引き継ぐ作品も出ていてこれからも目が離せません。ずっと未来まで見守りたい国です。
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コリン・ワトスン『浴室には誰もいない』(創元推理文庫) [ミステリ]

匿名の手紙をきっかけにした捜査で、ある家の浴室から死体を硫酸で溶かして下水に流した痕跡が見つかった。住人と家主はそろって行方をくらましており、被害者の存在も定かでないまま地元警察による捜索が開始される。一方、ある特殊な事情によりロンドンから派遣された情報部員チームも、独自に行方不明の住人の捜索を始めて……
硫酸で死体をとか情報部員が動くとか、絶対おどろおどろしい事態が待っていると思うじゃないですか。表紙の写真も人のいない浴室でどことなく不吉な感じですし。安心して下さい、そんなに怖くないです。本当ですからびびらずに手に取ってみて下さい。アントニイ・バークリーが本書を激賞したのは、すぐれた本格ミステリだからというだけではないはずです。絶対ちがいます。
意図的なものかそうでないのかわかりませんが、あらすじ紹介や装丁からは連想しにくいことに本書はユーモア・ミステリです。読み終わってから振り返ると、明らかに戦慄するより笑っているページのほうが長かったんですよ。笑ってしまう主なポイントは、地元警察の個性的というよりは好き勝手やっているだけのような面々と、ロンドンからやってきた情報部員の皆さんのどこかで見たような超かっこいい諜報活動です。おっかしいだけでは終わらず、終盤の二転三転する展開ではきっちりミステリの楽しみも味わえますので、ぜひ「硫酸で死体を溶かすとか怖い話では?」とびびりながら騙されたと思って詠んでみて下さい。そしてまんまと騙されて下さい。

浴室には誰もいない (創元推理文庫)


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海野十三『深夜の市長』(創元推理文庫) [ミステリ]

昼間とはまったく別の顔を見せる夜の東京で、深夜の散歩を趣味とする僕は奇怪な殺人事件に遭遇したことをきっかけに「深夜の市長」と呼ばれる怪老人と出会う。警視総監やT市長をも巻き込む陰謀にも関わりを持っているらしい深夜の市長の正体とは?
こんな設定で、一昔前の東京の夜に怪人や権力者たちが入り乱れる表題作のほか、SFっぽいものから本格風ミステリまで短篇作品をあわせて収録した作品集です。もうちょっとシンプルな、推理どころじゃなくひたすら怖いだけの話などもあります。
わたくしはもう「深夜の市長」というタイトルと、そういう名前のキャラクターが登場して大活躍するだけでわくわくしてどうしようもないのですが、昼の光の下とはまるで違う顔を見せる夜の大都市のイメージがまず強烈じゃありませんか。シリアスそうな雰囲気に反して、主人公の行動があまりにも行き当たりばったりで突っ込みどころにあふれていところですとか、大事な用事をすぐ先延ばしにして登場人物に突っ込まれるですとか、あまりにもざっくりした市政ですとか、なかなかドタバタしてコミカルなシーンも多数あります。
そんなに科学にも犯罪捜査にも詳しくないミステリ好きのわたくしが「??」となるところもあるんですけれども、それはそれとしてびっくりするようなアイデアがぞろぞろ出てくるのが楽しい本です。気がついたらこの文庫から海野十三傑作集がもう4冊目で、読めば納得の弾けっぷりでした。

深夜の市長 (創元推理文庫)

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今日泊亜蘭『最終戦争/空族館』(ちくま文庫) [SF]

日本SFの黎明期から活動している伝説的作家の文庫オリジナルアンソロジーです。「宇宙塵」同人にも参加ですとか、佐藤春夫に紹介されて探偵小説を書き始めたとか豪華なエピソードがもりもり出てきます。
そのくらいの人ですから当然いろんな作家に影響を与えていて、本書に収録された作品だけでも星新一や筒井康隆を想起させる要素がぼちぼち含まれています。ミステリっぽい雰囲気のものから子ども向けのややほんわかした作品まで幅広く、クスッと笑えるしゃれた結末もあるしぞっとするカタストロフィも入っています。表題作のうち「最終戦争」は毒を含んだ風刺がありますが、もう一方の「空族館」は登場人物たちにとってはさっぱり笑えない喜劇です。
わたくしは「博士の粉砕機」が無慈悲ですばらしいと思いますね。子ども向けにリライトされたバージョンも収録されてるですが文章がやさしくなった以外に特に違いはないです。

最終戦争/空族館 (ちくま文庫)


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イーヴリン・ウォー『スクープ』(白水社) [海外小説]

毒にも薬にもならない田園記事を新聞に連載していた青年ウィリアム・ブートは、人違いで海外特派員に任命され、政情不安まっただ中にあるアフリカの某国へ送り込まれることに。怪しげな人々がうごめく世界で本職の記者たちに揉まれて右往左往されるうち、彼は思いがけず本物のスクープをものにするのだが……
1938年に書かれたジャーナリズムをめぐる小説です。とにかくひどい話なのでぜひ「ひっでぇなぁ」と声に出して突っ込みを入れながらお読みいただきたいです。もうずいぶん前に出た本ですけれども、ひょっとすると現在でも報道の世界はこんな調子なんじゃないかと思わせるいやな説得力があります。
政変前夜のアフリカの架空の国を舞台にしていますが血湧き肉躍る大冒険はどこにもなく、ろくに娯楽もない土地でだらだら過ごす記者たちや埒が明かない政府の対応、肝心のときに届かない本国からの電報などお笑い要素が山盛りです。ばかばかしくも楽しいお話ではあるのですが、ちょっとジャーナリズムの現場にいる人には見せられない……いや、むしろそういう方にこそ読んでいた大体かもしれない本です。

スクープ (エクス・リブリス・クラシックス)


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ワイルド『幸福な王子/柘榴の家』(光文社古典新訳文庫) [海外小説]

オスカー・ワイルドの童話集二冊の新訳版です。特に表題作「幸福な王子」は有名ですし、「小夜啼き鳥と薔薇」「身勝手な大男」もちょこちょこアンソロジーや絵本で見かけますよね。どれも見たところはいかにも子どものためのおとぎ話で見られそうな少し昔のどこかの国や愛らしい登場人物に彩られていて、でもストーリーはというとハッピーエンドとは限らないし全てがきれいに丸く収まるわけでもありません。
他人のために一生懸命がんばった人が別段報われずそのまま終わったりもしますし、宗教的な救済がおとずれることもありますし、読む前からうすうす予想してはいたんですけれども子どものためになる教訓的なお話という感じはそんなにしません。それでいて、あたまに「本当は怖ろしい」とか「大人のための」とつけられるような毒と皮肉に力を注いでいるようでもないです。つらい話もひどい話もひっくるめて、ひとつひとつが短いながらも美しい悲劇のような味わいです。もし子どものころに読んでいたら、結末にいちいち納得がいかなかったんじゃないかと思いますね。

幸福な王子/柘榴の家 (古典新訳文庫)


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ピエール・ルメートル『天国でまた会おう』(早川書房) [海外小説]

1918年11月。休戦が近いと噂される第一次世界大戦のさなか、前線の兵士アルベールは上官プラデルの悪事を目撃したため戦場に生き埋めにされてしまう。同僚のエドゥアールに救出されて九死に一生を得た彼は、多くのものを失いながらも新たな人生を歩み始める。一方かつての上官プラデルは、大戦後のパリで実業家としてのし上がり……
戦争で全てを失った主人公たちが上官に復讐する話だと思っているとびっくりしますね。主人公のアルベールからしてどこまでもヒーローらしくない優柔不断な青年で、悪人ではないけれど特別な正義感や意志の強さを持っているわけでもありませんし、彼を救ったエドゥアールのその後の運命も読者の予想を裏切ります。あくどい手段で立身出世をもくろむ元上官はいつまでもぴんぴんしているし、主人公たちの家族は真相に気付く気配もなく、主人公は主人公で日々を暮らすのにせいいっぱいです。
なんですけれども、これが抜群におもしろいんですよ。第一次世界大戦とその後のヨーロッパを舞台に、戦場での裏切りと目撃しながら生き延びた兵士という重たいテーマを扱いながら、サスペンスにあふれた娯楽小説なんです。あの日からいったい何がどうなってこんなことになったのか、考えると分岐点が見えてくるような気もするけれどそれはもう過去の話で、結局今となってみると何もわからない、人生そのままに平凡でドラマチックな小説です。
天国でまた会おう(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫) 天国でまた会おう(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

全1冊の単行本もあります。
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ローラン・ビネ『HHhH』(東京創元社) [海外小説]

1942年、ドイツ保護領となったプラハへ二人の兵士が潜入する。ロンドンに亡命したチェコ政府の計画に従う彼らの目的は、〈第三帝国でもっとも危険な男〉と呼ばれるチェコ総督代理ハイドリヒの暗殺だった。
小説化すればいくらでもドラマチックになる題材を、恋愛や歴史秘話をからめた手に汗握る娯楽作品としては読ませてくれないのがこの本のすばらしいところであり、作者の腕前の大したところでもあります。最初から最後まで、執筆者である「僕」がハイドリヒ暗殺計画と同じくらい前面に出てきて、父や恋人との思い出、本書のための取材旅行で目にしたものや登場人物の内面に分け入ることについても語り続けるんですから。
作中の「僕」がそのまま著者といえるかどうかはわかりませんけれども、本書はハイドリヒ暗殺計画をテーマにしたノンフィクションとしてはもちろん、伝記小説を書くことと向きあう著者自身まで包み込んだ一つの作品になっています。史実としての結末はもちろん最初からわかっていて、ハイドリヒがここで暗殺されることもふたりの兵士とチェコの運命も読者は知ろうと思えば知れるのですが、小説を書いてきた「僕」のその後はわかりません。作者自身がお話の中にしょっちゅう顔を出してくる形式を伝記小説で成功させ、「史実を元にした小説を書くこと」についての小説として成功させたというのはとんでもない力業であり偉業ですよ、ほんとうに。

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)


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